研究案内
私達の研究室では、これまで卵巣癌における薬剤耐性化の克服を研究課題として、研究を行ってまいりました。卵巣癌の臨床上の問題点として、治療初期に抗がん薬に感受性を示しても再発が多く、再発時は化学療法に対して耐性を示し、治療困難となることがあります。現在、我々は卵巣癌おける再発と治療抵抗性獲得の機序として癌幹細胞に着目して研究を行っています。
癌幹細胞の概念は数十年以上も前から提唱されていましたが、直接的な証明方法がなく広く受け入れられることはありませんでした。しかし幹細胞生物学・発生生物学の急速な進展により、癌にもまた正常組織同様のヒエラルキーが存在し、その頂点に位置する癌幹細胞のみが強い自己複製能と腫瘍形成能を有することが明らかにされました(Reya T. Nature 2001)。癌幹細胞は癌を形成する細胞の数%以下の比率であると言われ、様々な抗癌剤や放射線療法にも抵抗性を示し、癌再発の原因となる細胞であると報告されています(Bao S. Nature 2006)。癌幹細胞の治療抵抗性は、癌幹細胞が抗癌剤排出能力、中和能力、DNA修復能力を有していること、また特別な微小環境(ニッチ)内で休眠状態として存在するため、増殖する細胞を標的とする従来の癌治療には効果がないためと考えられています(図1)。さらに、抗癌剤は増殖能力の高い癌細胞には効果があっても、増殖能力の低い癌幹細胞には効果がなく残存し、再度癌細胞に分化していくことで再発、抗癌剤に対する抵抗性を示すようになるのではないかと考えられています(図2)。したがって、卵巣癌の癌幹細胞を同定、機能解析を行い、癌幹細胞を標的とする新たな分子標的治療を開発することが再発を減らし、薬剤耐性化の克服にもつながり、卵巣癌患者の予後を著しく改善できるのではないかと考え、研究を行っています。
研究開始当初、私達は、山形大学医学部腫瘍分子医科学講座、北中千史先生との共同研究として、卵巣癌幹細胞の樹立に取り組みました。癌幹細胞の特徴のひとつに自己複製能があり、無血清培地において、癌幹細胞はdishに接着せずに浮遊して自己複製を行い、sphereという細胞集塊を形成します(図3)。これらのsphere形成細胞では、幹細胞マーカー(SOX2, NANOG, NESTIN, CD133)の発現を認めました。さらにこの自己複製能には、c-JUN N-terminal kinase (JNK) signalingが関与していることを明らかにしました(Seino M, Anticancer Res 2014)。また、卵巣癌幹細胞は正常幹細胞と同様にヒストン3リジン27 (H3K27)のトリメチル化が幹細胞性の維持に関わっていることが分かりました。そこで、ヒストン脱メチル化酵素阻害薬であるGSKJ4という薬剤を卵巣癌幹細胞に投与することで卵巣癌幹細胞の幹細胞性の喪失を誘導できる可能性を明らかにしました(Sakaki H, Anticancer Res 2015)。癌幹細胞性が喪失されれば、癌幹細胞に対する抗癌剤の効果を高めることができると考えられます。今後は卵巣癌幹細胞の研究をさらに発展させ、癌幹細胞を標的とした新しい治療法を開発することで、卵巣癌の薬剤耐性化を克服し、再発予防につなげていければと考えています。
その他にも卵巣癌と同じように治療困難であることが多い子宮体部漿液性癌についても研究を進めています。私達は抗癌剤に対する子宮体部漿液性癌細胞の反応をメタボローム解析という手法を用いて解析を行いました。メタボローム解析は近年癌の研究分野で広く行われ始めた研究手法です。細胞は様々なシグナル伝達を受け多くの代謝反応を行いますが、メタボローム解析ではその代謝過程~最終産物を解析します。癌細胞の代謝産物を解析することで、癌細胞の代謝経路の性質・特徴を解し、治療法の開発に役立てることができます。子宮体部漿液性癌は一般的には抗癌剤耐性であることが多いのですが、当科ではパクリタキセルの耐性株(東北大との共同研究)を用いて、パクリタキセル耐性細胞の代謝経路変化を調べました。その中で注目されたのが、グルタチオン経路と糖代謝経路です(図4)。これまで他癌腫ではグルタチオン・糖代謝のいずれの代謝経路も抗癌剤耐性に関わっているということが分かっていましたが、これらが子宮体部漿液性癌のパクリタキセル耐性にも関与する可能性を世界で初めて報告しました(Seino M, Oncotarget 2018)。グルタチオン代謝経路を抑えることでパクリタキセル耐性細胞を効果的に抑制するという成果を2017年に行われた日本産科婦人科学会で発表し、優秀演題賞を獲得しました(杉山)。このようにメタボローム解析結果を基に、子宮体部漿液性癌の新規治療ターゲットについてさらに研究を進めています。
私達の研究室では、臨床研究も行っております。単一施設の限られた症例数では臨床研究で成果をあげることは難しいのですが、患者さん一人ひとりのデータを丁寧に分析することで、臨床データを論文化することができると考えています。
我々は閉経後の一般的な卵巣腫瘍患者において、実に44%(75例中33例)もの高率に血清エストラジオール(E2)濃度が高いことを見出しました。卵巣静脈採血を行って卵巣静脈血のE2濃度を測定したところ、健側の卵巣静脈に比較して患側の卵巣静脈中のE2濃度が有意に高く、また免疫染色により卵巣腫瘍間質に性ホルモン合成酵素の発現を認めたことから、極めて高頻度に卵巣腫瘍の間質でE2が産生されていること、さらに産生されたE2が骨代謝に影響を与えていることを明らかにしました(Matsumura S, J Clin Endocrinol Metab 2013)。この研究は、日々の臨床の中で疑問に思ったことから始まり、若手医師がまとめた研究です。
現在は新たなテーマとして、婦人科癌患者の全身の酸化ストレス度合いとその治療成績についての臨床研究を進めています。また手術中にインドシアニングリーン(ICG)を含む色素を用いたセンチネルリンパ節の同定について研究を進めております。センチネルリンパ節とは、癌細胞が最初に到達するリンパ節のことを言います(図5)。子宮に色素を注入し、リンパ流を手術中に観察することでセンチネルリンパ節を同定し摘出します。摘出したセンチネルリンパ節は図6のように細かくスライスし、小さな癌も見逃さないようにします。本来リンパ節転移の有無を確認するためにリンパ節郭清(可能な限りすべてのリンパ節を摘出すること)が必要ですが、癌細胞が最初に到達するセンチネルリンパ節が同定でき、そのセンチネルリンパ節に癌の転移がないことが証明できれば、それ以降のリンパ節には転移がないと判断でき、リンパ節郭清を省略できる可能性があります。リンパ節郭清には、リンパ浮腫やリンパ嚢胞といった術後合併症が起こりえますので、それらの合併症を軽減できるのではないかと考えられています。私たちはセンチネルリンパ節を安定して同定できるように研究を進めています。
さらに私達は、婦人科悪性腫瘍研究機構(JGOG)や東北婦人科腫瘍研究会(TGCU)が主体となって行われる多施設共同研究にも積極的に参加しています。JGOGでは難治性卵巣癌の治療研究や卵巣癌の相同組み換え修復異常の頻度とその臨床的意義を明らかにする臨床研究など、多数の調査に協力しています。またTGCUでは子宮頸癌傍大動脈リンパ節腫大症例に対する有効な治療法を探索するための調査研究を行っております。多施設での研究は単一施設では何年もかかるような疾患でも短期間で集めることができ、その豊富な症例数により婦人科腫瘍における疑問点を解決し、新しい標準治療法を確立できる可能性があります。そのため私達は、研究に参加するにあたり、質の高いデータを提供するように心がけています。また私達からも新規臨床試験のアイデアを発信できるようになりたいと、カンファレンスで日常診療の疑問点をdiscussionしております。
最後に私達の研究室では、永瀬教授を中心として卵巣癌、子宮体癌のほかに子宮頸癌の新規研究も立ち上げようとしています。特に若手医師が疑問に思ったことを積極的に臨床研究につなげていければと考えています。当科では医学部生の課外実習も受け入れており、臨床研究や基礎研究を共に行っています。厳しいなかにも笑いあり、アットホームな環境です。産婦人科でがんの研究をしたいと考えている学生さん、若手医師が、私達の仲間となってくれることを期待しています。